『太陽の道』

K-5Ⅱs/ DA21mmF3.2AL Limited [F11 1/4000 ISO160 ±0EV]

早朝散策のひとコマ。

朝陽が昇り、海上に太陽の道が出来ていました。

朝早いために車道を走る車も殆どなく、聞こえるのは鳥の鳴き声だけ。

毎日こうして陽が昇り、年に何度も見ている光景ですが、それは一つとして同じものがなく、そして何度も見ているのに感動します。

 

「続きをどうぞ」以降は私的な日記的備忘録ですので、どうぞ読み飛ばして下さいませ。

 

4月29日午前5:15、母方のお婆さんが永眠しました。享年102歳、大往生と言ってよいかと思います。

私の家、そして私の実家、母の姉弟の家は同じ町にあって歩いて行ける距離にあります。お婆さんは母の実家で暮らしていましたが、私の母も実家で家業の海の仕事を手伝っていた事もあり、小学生までは自分の家に居るよりも日常的に母の実家で過ごす事が多く、従兄弟も叔父も叔母もそこに集まり大家族のようなそんな生活をしていました。

まだ小さかった私達の事を、まるで自分の子供のように育ててくれた叔父に叔母、そしてお婆さん。お婆さんとは言わず、皆で「ばっちゃん」と呼んでいました。

そのばっちゃんはまだ幼い頃に生家を出され、大変な苦労をされた事を聞いていました。その後の戦争。私の母を含め姉弟6人を連れての疎開、そして早くに旦那さん(私のお爺ちゃん)を亡くし、女手一つで6人の子供達を立派に育てあげたばっちゃん。

苦労に苦労を重ねた事は容易に想像できますが、叔父や叔母に聞くと弱音をはいた事は一度もなく、自身の子供達に囲まれ、そして私ら孫に囲まれて「皆に世話になって幸せだぁ」と言うのが口癖でした。訪問してきた縁戚や知人にも同様に言っていたと、葬儀の折にお聞きしました。

90歳も近くなった頃、足腰が弱くなって外を歩けなくなったのを悔やんでいて、それに仕事であったり嫁いだりで孫の殆どは県外に行っている事もあり、たまに遊びに行くと「テレビが話し相手で、だけども話しても返事をくれない」みたいな事を言っていたのを思い出します。

徐々に記憶も薄れ、顔は憶えていても名前が出てこなくなったりしていましたが、最後まで生きる事に精一杯で、それは逆に勇気を貰っているかのような、そんな最後の数年間でした。

昨年の家内の母に続き、私にとって偉大で大事な人が天国に旅立ちました。

ふと気が抜けると自然に涙がこぼれてきます。そんなんじゃ駄目だと言い聞かせますが、またしても貰った恩を返せずいる自分を嘆いています。

葬儀の折り、数十年ぶりに親戚と従兄弟が揃いました。宮崎、大阪、名古屋、神奈川と離れていますが「これだけ揃うのは、ばっちゃんのおかげだ」と皆で言っていました。

爺ちゃんが亡くなったのが52年前。今頃は天国で爺ちゃんと再会しているでしょうか。

天国で大好きな花を愛でながら、爺ちゃんと昔話でもして穏やかであると良いなと思っています。

そして今日は、そんな婆ちゃんの誕生日。皆で103歳は盛大に祝ってあげようと思っていた事は叶いませんでしたが、婆ちゃんにはもうとにかく感謝、感謝です。

 

忘れない

8 thoughts on “忘れない

  • bluemさん、ゆっくり拝読いたしました。
    お婆さまのご逝去、御悲しみをどのように表現したらよいかわかりません。
    そしてきょうのお誕生日と、大切な記念日をお迎えになられたのですね。
    「皆に世話になって幸せだぁ」とは素敵なことばですね。
    年をとったら人に迷惑をかけてはいけないということばはよく聞きますが、
    家族親族の世話になり幸せとはとても深いものがあります。
    bluemさんの感謝の気持ちも素敵です。
    今、天国でおじいさまとご一緒であることを私も信じます。

    1. ■やすたろ~さん、こんにちは。

      婆ちゃんもそうですし家内の母もそうですし、比べると自分はまだまだ人間として小さいなぁと感じます。それぐらい、人間として大きな人でありました。
      それはやはり多くの苦労を越えてきたからこそなんでしょうね。
      それに記事でも触れたように、婆ちゃんとその子供(私の母とその姉弟)が直ぐ近くに住んでいて、毎日母の実家に集まって仕事もしますが、おもしろおかしい話をしたり、皆が家族のようなそんな光景って中々無いなとも思いますし、その要にあったのが婆ちゃんでしたから喪失感というのも大きいです。
      天国でじいちゃんと仲睦まじく過ごす姿を想像していました。
      お気遣いありがとうございます。

  • ばっちゃん、のんびりと天国でじっちゃんと手を繋いで散歩でもしてるのかな。
    いい子、いい孫に囲まれて幸せな大往生だったことでしょう。
    ご冥福をお祈りします

    1. ■Jerryさん、おはようございます。

      これまでのたくさんの苦労の分、天国でのんびりと楽しく過ごしてほしいです。
      戦争当時、母たちが小さかった頃の話なども聞きましたが、今の時代では考えられない、壮絶と言っていいほどの苦労をしていました。
      私も時々仕事で辛い事もあって凹んだりしますが、婆ちゃんに比べれば全然まだまだ楽なものだと思えるようにもなりました。
      お心遣い、ありがとうございます。

  • 昔の人は強いですよね。
    ご主人を早くに亡くされたようですが、
    今のように色んな社会(寡婦)制度のようなものもない時代に
    一生懸命に父親の分まで頑張られていたんでしょうね。
    きっと私たちが想像もできないようなご苦労をされて来られたんだと思います。

    >またしても貰った恩を返せずいる自分を嘆いています・・・
    そんなことはありませんよ。
    こんなに優しいお孫ちゃんがいてくれてばっちゃんも幸せだったと思います。
    今は、笑顔で生きることが一番のご供養だと思います。
    天国でじっちゃんと再会し、苦労話や楽しかった話をしていることでしょう。

    1. ■teltelさん、こんばんは。

      昔の人、戦争を乗り越えてきた人たちは本当に強いなと思いますよね。今は些細な事での争い事や事件がニュースになりますが、我慢とか耐えるとか強調とか、そういうのが欠落していってるのを感じます。
      生きる、シンプルにそこにしがみつかなければならい生活は、想像したくても出来ないものですが、それを生き抜いてきたのですから、これは本当に凄いと思います。
      私達、その親の一番の要であった人が旅立ったので、もっと意識を持って考えていこうとも感じていました。
      優しい言葉のコメントを読んでいるだけで、涙が溢れてきそうになりますが、天国で安らかに過ごしていることを願っています。

  • 「皆に世話になって幸せ」
    このひと言を言える人生は、ご自身が築き上げてきたからこそ。
    言われた方もこれ以上の言葉はないでしょう。

    「誰の世話にもなりたくない」
    そう思っている自分の心に深く刺さりました。

    恩を返したいと思う人がいるのも、また幸せです。
    この世にいなくても、全然大丈夫。
    bluemさんなら 魂レベルでお分かりになるはず。。。

    1. ■YOKO*さん、こんばんは。

      血縁ではない方々も大勢いらして下さいまして、皆さんからそういう話を聞きました。
      分け隔てなく人に優しくあったんですよね。
      思えば、いつも誰かが訪ねて来てお茶を飲んで話をしている母の実家だったのですが、皆さん居心地が良かったんだろうなと、ふとそんな事を思いました。
      魂レベルは分かりませんが(笑)、もっともっと私も努力しないとと思ったですし、生きている内は一生懸命で、あの世に行ったらまたばっちゃんとくだらない笑い話でもしようと思います。

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